吉祥読本

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猫のゆりかご --カート・ヴォネガット・ジュニア

読みはじめて、ん?と思い、読み進めるにつれ、懐かしさがこみあげてきました。
久しぶりじゃね~か、と旧友に出会った感じとでも言うのでしょうか。

と、「西瓜糖の日々」(リチャード・ブローティガン)の記事と同じ書き出しにしてみました。
この作品も高橋源一郎さんの初期作品を思い出させる作品でした。
調べると確かに高橋源一郎さんも影響を受けているらしい。
案外わかるもんだなあ。

と、読者が感じるくらい自分のものにしてしまった高橋源一郎さんは、
余程ヴォネガットを読み込んだに違いない。

で、この作品はどうか?というと、127章に細切れとなったストーリーは、
まず日本に原爆が投下された日、原爆の開発者をはじめとするアメリカの主な関係者を調査し、
「世界が終末をむかえた日」という本として残そうとジョーナが取材するところから始まる。
科学者の名前はフィーリクス・ハニカー。

原爆どころかあらゆるものを凍りつかせる「アイス・ナイン」という世界を破滅に向かわせる
化学物質までもがフィーリクス・ハニカーの手によって開発される。
この天才肌の博士は研究意外に興味がなく、自分の作り出すものが何を引き起こすかなんてことには
いっさい気が廻らないという無頓着、いや、イカレタ、いや、純粋な男である。
作品中ではさっさと死んでしまい、話は彼の子供たちが主に登場することになる。

ボコノン教という架空の宗教を作中に登場させ、ボコノン教を通してキリスト教をはじめとする
宗教観や、戦争、科学、そしてアメリカなど諸々に風刺と皮肉をこめた作品であり、
破滅に向かう世界をユーモアを交えて描いている。
と、思われる。

ヴォネガットの作り出したボコノン教は決して難しい宗教ではない。
なんとも言えば良いのか、愛に溢れているような、優しく穏やかな宗教に感じる。

ところで「ボコノンの書」には
「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」
という言葉で始まる。何と人を食った書か。
しかしいくつかの言葉に納得させられ、ニヤケてしまったりするが深読みもしてしまう。
純化された言葉は意外と力を持つものだ。
難しい言葉の羅列には誤魔化し、ケムに巻くという役割がある。(仕事で利用実績あり 笑)
深い考察がないとここまで易しい言葉に置き換えられるものではない。星新一さん然り。

純化され平易に見えるストーリーだが、実は実感として1/3くらいは理解できていない。
多分何度か読みこなさないと作者の意図は伝わらない気がする。(あ、自分のことですよ)
更に言えばアメリカの歴史を知ることも理解には必要なんだと思う。

高橋源一郎の作品も初読の段階ではもっと理解できず、何度か読み返していた。
しかし、初読の段階から意味がわからないまま、途轍もなく感動したものだ。
「感じる」読書というのも悪くない。
源ちゃん、また再読したくなってきた。(急にくだけてしまいました)
年齢も重ねた事だし(涙)、頭で理解できる時が来ているかもしれない。(来て欲しい・・・)


着地点がずれてしまいましたが、気にしないでください。

ちなみに猫は出てきません。メタファーとしての猫であり、
この題名を付けるところにヴォネガットの人柄が滲んでいるような気がします。



「本書より気になる言葉の抜粋」

・しかし労働者に賃金をいっさい支払わないことで、会社は一年一年をどうにか切り抜け、
 労働者の虐待に従事するものたちに給与を支払えるだけの収入はあげていた。


・”廿日鼠と人間の言葉はかずかずあるなかで、もっとも悲しむべきは、「だったはずなのに」”