吉祥読本

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高炉の神様 ::佐木隆三

赤朽葉家の伝説を読み、本書を積んでいることを思い出した。今こそ読む時期でしょう。

 

明治初期に生まれ、八幡製鉄所で「宿老」として98歳まで働いた職工、田中熊吉さんの
溶鉱炉に懸けた人生を描いています。
著者の佐木隆三さんといえば「復讐するは我にあり」を思い出しますが、佐木隆三さんが八幡製鉄所で働いていたとは知りませんでした。
在職中に社内報で「宿老・田中熊吉伝」という連載をしていて、それを元にしています。

 

決して恵まれた環境になかった熊吉さんは、とても勤勉で努力を怠らず、その真摯な姿を周辺の人が認めることによって徐々に職工としてのキャリアを積んでいくのですが、
溶鉱炉にかける思いが全編に渡りヒシヒシと感じられます。
熊吉さんの人柄は国境を越えても通じ合います。
特にドイツに研修に行ったときの同僚ヘルマン・グレーフとの会話が印象的です。

 

ドイツの最新技術を知りたいが特許技術のため、肝心なところの設計がどうなっているのかがわからない。

 

 「熊吉としては設計図が欲しいんだろう」

 

 「イヤ、聞いただけでムリに頼んだりはせん」

 

 「熊吉が設計図を持ち帰り、日本で実用化できれば気味が経験したような労働災害は  なくなる
  だったら設計図を入手するから写し取ればいい」

 

 「バッテン、企業機密やろうもん」

 

 「日本の労働者が、安全に働けるようにするために、ドイツの設計技師が協力して、  何が悪いものか。
  会社の利益よりも、人間の命を優先させるべきだ」

 

ドイツ人の同僚の台詞に成熟を感じます。なんという大人な台詞でしょう。
勿論企業にとって機密事項が大事なのは当然です。
利益よりも人間を優先する、これはもう時代的には理想論になるのかもしれません。
でも、やはりその理想が人を感動させ、動かし、最終的にどちらにも利益がもたらせることができればこれ以上の醍醐味はないのではないでしょうか。
熊吉は日本に帰ってから、感謝の気持ちを忘れずにいつもポケットにヘルマンの写真を入れていたそうです。
人付き合いが苦手なヘルマン・グレーフが熊吉に心を開いたのは、熊吉の仕事への情熱が伝わった結果でもあり、それに奢ることなく謙虚に感謝を続ける熊吉の姿には感服します。

 

国境を越え理解し合え、リスペクトし合える関係は言語だけではなく、真摯に取り組めばいつか伝わるものなのだ。
鉄の産業は既に古い物になってしまったが、心意気はいつの時代にも普遍に違いないと
勇気付けられた作品でした。



ところで、赤朽葉家の伝説を読んだ人は、職工の豊寿を覚えていると思います。
職務中に右目を失ってしまった職工のリーダーです。
これはきっと熊吉さんがモデルになっているのではないでしょうか。
本書には熊吉さんを描く、こんなシーンがあります。

 

 「ハンマーが目に当たり、しかし仕事を続け、汗だと思ってタオルで拭いたら
  眼球の水晶体が飛び出していた」

 

 そして心配する同僚たちに

 

 「そげんこつより、戦地の事を考えろ」

 

 と、作業を続けたと。

 

赤朽葉家~で小説っぽい演出だと思っていたことが、現実にあったことだったとは恐れ入る。
赤朽葉家~の参考文献には八幡製鉄所関連の本もあったので、きっとモデルなんだと確信しています。