痩せたひどく縮れた赤毛の女、小野町子は小野一助、二助の妹であり佐田三五郎の従妹。
ひとつ屋根に同居しているこの4人を中心にした話。
町子は人間の第七官にひびくような詩を書いてやろうと考えながら、しかし人間の第七官とは何かがわからないのでその定義をみつけようと思いながら日々を過ごしている。
「家族」の炊事係として過ごしつつ、同居している「家族」たちを町子の視点で描き出している。
ひとつ屋根に同居しているこの4人を中心にした話。
町子は人間の第七官にひびくような詩を書いてやろうと考えながら、しかし人間の第七官とは何かがわからないのでその定義をみつけようと思いながら日々を過ごしている。
「家族」の炊事係として過ごしつつ、同居している「家族」たちを町子の視点で描き出している。
三五郎は音楽予備校に通う音楽受験生
二助は肥料を研究する学生
一助は心理学の医者
たわいもない内容、会話はユーモラスでたまにクスっとしてしまう。
二助は肥料を研究する学生
一助は心理学の医者
たわいもない内容、会話はユーモラスでたまにクスっとしてしまう。
適当な言葉がみつからないが可愛らしく、奥ゆかしく、どこか清々しい町子は現代にもいそうです。
コケティッシュという言葉が浮かぶがそれも違うような。。。
町子と暮らす家族たちが繰り広げるユーモラスな会話や行動はピントがずれているようで真面目で、なんともこじんまりとした不思議な世界です。
コケティッシュという言葉が浮かぶがそれも違うような。。。
町子と暮らす家族たちが繰り広げるユーモラスな会話や行動はピントがずれているようで真面目で、なんともこじんまりとした不思議な世界です。
読後感は、「なんかいいなあ」
昭和の初期にこの感覚(そしてこの題名)に出会った人たちは一体どんな感覚を持ったんだろうか。
この作品の感想はぼんやりしていて非常に難しいが、付属している『「第七官界彷徨」の構図その他』を読むと、創作するにあたっての考え方や創作方法に言及していて非常に興味深い。
「作品内では説明を拒否し、会話などで表現するために、緻密に場面の配列地図を描いた」 とある。
確かに作品はたわいもない会話でとても緻密に構築された内容であることを感じさせない。
確かに作品はたわいもない会話でとても緻密に構築された内容であることを感じさせない。
配列地図を作り上げ、イメージを文章化するにあたり、尾崎翠は印象的なことを書いているので抜粋する。
特に最後の部分に「うわあっ」と思った。
特に最後の部分に「うわあっ」と思った。
ペンをとった後で困ることは、場面場面はすでに一つの絵画として頭の中に描かれているのに
それを言葉で描こうとするとき言葉の洪水に出逢ったり、 言葉の貧困に陥ったりすることです。
言葉はつねに文学の強敵だと思います。
それを言葉で描こうとするとき言葉の洪水に出逢ったり、 言葉の貧困に陥ったりすることです。
言葉はつねに文学の強敵だと思います。
ところで「琉璃玉の耳輪」で岡田家のお手伝いさんの名前が「町子」となっています。
津原さんは「第七官界彷徨」の町子を意識してたのでしょうか?
津原さんは「第七官界彷徨」の町子を意識してたのでしょうか?