「円を創った男」で大隈重信についてよく知らなかったと書いたが、この作品も同様で、
島原の乱とか天草四郎などの歴史上の出来事や人物に関しては知っているようで
知らないことばかりだったことを痛感した。「魔界転生」とかが真っ先に浮かんでくるもんなあ。。
島原の乱とか天草四郎などの歴史上の出来事や人物に関しては知っているようで
知らないことばかりだったことを痛感した。「魔界転生」とかが真っ先に浮かんでくるもんなあ。。
簡単に書くと島原の乱が起きた経緯を主に二人の人物を中心に描かれているが、
天草四郎はあくまで脇役としての登場。
島原の乱といえばキリシタンの起こした大きな騒乱、みたいな印象があったがこの作品を読むと
宗教など関係ないことがよくわかる。
キリシタンを制圧するため、という大儀を掲げているが実は通常では考えられない悪政に
ギリギリまで追い詰められた者たちが起こした戦いだったわけで、それを覆い隠すために
宗教が利用されたといっても過言ではない。
では農民一揆だったかというと、そうでもない。かつて水軍だった者たちが庄屋として農村を管理し、
かなり訓練された軍隊という側面もあった者たちが主軸であり、悪政に反旗を翻した武士たちや
理不尽に道を絶たれた武士たちがこの戦いに参加していることを考えれば、宗教弾圧以上に
大きな意味を持つ内乱だったことが窺われる。
天草四郎はあくまで脇役としての登場。
島原の乱といえばキリシタンの起こした大きな騒乱、みたいな印象があったがこの作品を読むと
宗教など関係ないことがよくわかる。
キリシタンを制圧するため、という大儀を掲げているが実は通常では考えられない悪政に
ギリギリまで追い詰められた者たちが起こした戦いだったわけで、それを覆い隠すために
宗教が利用されたといっても過言ではない。
では農民一揆だったかというと、そうでもない。かつて水軍だった者たちが庄屋として農村を管理し、
かなり訓練された軍隊という側面もあった者たちが主軸であり、悪政に反旗を翻した武士たちや
理不尽に道を絶たれた武士たちがこの戦いに参加していることを考えれば、宗教弾圧以上に
大きな意味を持つ内乱だったことが窺われる。
過酷な年貢や飢饉、病気の蔓延など耐えながら追い詰められていく前半の展開は今までの飯嶋作品同様、
読んでいて救いが無い。
為政者に対する登場人物たちの怒りは細かい描写の積み重ねでこれでもかと読み手の心を重くする。
このあたりは「神無き月十番目の夜」にも共通する庶民の悲劇が描かれている。
一方で「黄金旅風」で出てきた魅力的な主人公や、医者、そして彼らの周りに居る人たちの
それぞれの立場での毅然とした正義も描かれる。
なかでも庄屋の甚右衛門(主人公の一人で、かつて有馬藩で名を馳せた鬼塚監物)の孤独な正義は
長年の軽蔑を黙々と受け入れながら育まれ、本当の危機によりやっと多くの者たちに受け入れられる。
彼の我慢強さは確固たる信念と矜持によって支えられてきたはずだが、
それが無残にも否定され爆発した際のエネルギーは破滅にしか向かうしかない。
島原の乱は起こるべくして起きたのでしょう。
読んでいて救いが無い。
為政者に対する登場人物たちの怒りは細かい描写の積み重ねでこれでもかと読み手の心を重くする。
このあたりは「神無き月十番目の夜」にも共通する庶民の悲劇が描かれている。
一方で「黄金旅風」で出てきた魅力的な主人公や、医者、そして彼らの周りに居る人たちの
それぞれの立場での毅然とした正義も描かれる。
なかでも庄屋の甚右衛門(主人公の一人で、かつて有馬藩で名を馳せた鬼塚監物)の孤独な正義は
長年の軽蔑を黙々と受け入れながら育まれ、本当の危機によりやっと多くの者たちに受け入れられる。
彼の我慢強さは確固たる信念と矜持によって支えられてきたはずだが、
それが無残にも否定され爆発した際のエネルギーは破滅にしか向かうしかない。
島原の乱は起こるべくして起きたのでしょう。
後半はジェロニモ四郎(天草四郎)が率いる「烏合の衆」が甚右衛門たちと合流し、
救いの無い戦いが延々と描かれる。
前半だけで充分成り立つ作品ではあるが、それだと「神無き月~」と同じになってしまうから仕方が無いか。
では後半は必要ないかというと、そうでもない。
保身しか頭に無いリーダーたちが率いる大部隊が少数の叛乱軍に右往左往する様は
無能なリーダーが率いる現代社会の不幸を揶揄しているかのようで、うんざりさせられるが
このあたりは飯嶋和一が書き続けてきた反骨精神が如何なく発揮されているシーンでもある。
自分の仕事などに当てはめてみると考えさせられる事も多々ある。
救いの無い戦いが延々と描かれる。
前半だけで充分成り立つ作品ではあるが、それだと「神無き月~」と同じになってしまうから仕方が無いか。
では後半は必要ないかというと、そうでもない。
保身しか頭に無いリーダーたちが率いる大部隊が少数の叛乱軍に右往左往する様は
無能なリーダーが率いる現代社会の不幸を揶揄しているかのようで、うんざりさせられるが
このあたりは飯嶋和一が書き続けてきた反骨精神が如何なく発揮されているシーンでもある。
自分の仕事などに当てはめてみると考えさせられる事も多々ある。
読み辛い作品が多い中で、長い作品にもかかわらず比較的読み易く感じた。(あくまで比較的ですが)
飯嶋氏自身、少しカドが丸くなってきたのかもしれない。
それとも自分が慣れただけなのか。
どうであれ連休を使ってじっくりと「読書を堪能」できたことは、素直に嬉しい。
しかしついに飯嶋作品もこれで読破。寡作な作家さんのため次はいつになる事やら。
飯嶋氏自身、少しカドが丸くなってきたのかもしれない。
それとも自分が慣れただけなのか。
どうであれ連休を使ってじっくりと「読書を堪能」できたことは、素直に嬉しい。
しかしついに飯嶋作品もこれで読破。寡作な作家さんのため次はいつになる事やら。
※この作品を読むにはやはり事前に「黄金旅風」を読んでおいたほうがいいでしょう。
末次平左衛門という人物を知っていると、この作品をより深く理解できると思います。
末次平左衛門という人物を知っていると、この作品をより深く理解できると思います。