吉祥読本

読書感想。面白そうな本なら何でも読みたい!

虐殺器官 --伊藤計劃

ゼロ年代のSFを読んでみたくて気になっていた作品を読みました。
テロとの戦いを繰り広げているアメリカの情報軍、特殊検索群i分遣隊大尉であるクラヴィス・シェパードが
大量殺戮に関係していると見られる謎の男、ジョン・ポールを追って紛争地域に潜入する、
というのが大筋の流れ。

サラエボは核で消滅してしまっている。「サラエボ・ハガダー」は一緒に消滅してしまったのだろうか。。。
全体を通して乾いた印象が覆いつくしている。悲惨な描写があっても重苦しさが無い。
主人公は目の前で人が死んでも、武器を持った子供を撃ち殺しても冷静さを失うことは無い。
なぜなら「仕事」の前には脳の一部をマスキングする処理が施されるためだ。
特殊部隊員は腕や足を失っても痛みを感じないようになっている。
脳をコントロールされることで冷静に「仕事」をこなしているのだ。
ゲームの中にいるみたいな感覚なのかな。

作品全体にもぼんやりとマスキングされた印象があって、終盤、特にエピローグで
ようやく主人公の感情に熱を籠めたのは、作者の意図でしょう。
完全にこの作品をコントロールしていたことがわかり、ラストの落としどころはあれでよし、だと思う。

リアルさを感じさせないが、実際今だって世界中で紛争は起こっている。
テレビやインターネットで眺めているだけでリアルさなんて感じていないのだから
むしろこの状況はリアルな描写なんだと思う。
常にフィルターをかけられた中で、実感を伴うものは自分の目の前にあって触れることができるものに
限られてしまっている。そんな思いをところどころ共感しながら読んだ。

この作者は既に亡くなっている。病気と闘いながら執筆活動をしていたらしい。
あとがきにその辺りの経緯が書かれているが、あとがきのラスト数行の母親の言葉で
激しく感情をゆすぶられた。
この作品全体を覆っていたマスキングがはずされ、作品の本質が別の形で突然姿を現した気がした。
(なので未読の人は文庫がいいかも)


なぜ虐殺があるのか。
虐殺の上で成り立っている幸せを享受している人間が語る言葉は、ただの偽善でしかない。
世界を構成する目に見えないレイヤーは確実に存在するわけで、
そんな切り口で物語を構築しているあたりWebディレクター出身ならではか。
人は所属するレイヤー以外のレイヤーを知ることはできないのだろうか。
知らなくてもどこかで繋がっていることは確かなのだ。

数少ない彼の作品は、大事に読みたいと思います。