ラファティの後継者と言われるテリー・ビッスンの「平ら山を越えて」を読み終え、
チャンスとばかり積んであった本家ラファティの作品を読んだわけですが、
今回のラファティも半分近くの作品で苦戦しました。
宗教色の強さを感じる重苦しいホラ話とでもいうのだろうか。
ラファティらしいといえばそれまでだが、これらの作品を読みこなすにはまだまだスキルが足りないのだろう。だいたい何のスキルが必要かも掴みきれていない気がする(苦笑)
「だれかがくれた翼の贈りもの」「最後の天文学者」「なつかしきゴールデンゲイト」
「雨降る日のハリカルナッソス」「片目のマネシツグミ」「ケイシィ・マシン」「マルタ」「優雅な日々と宮殿」「ジョン・ソルト」「深色ガラスの物語」「ユニークで斬新な発明の数々」の11編。
印象深い作品をいくつかピックアップします。
「だれかがくれた翼の贈りもの」
思春期になると突然手や指の骨が変形し、翼を持つ人たちが現れる。
新人類への進化への始まりの時期を描いているよう。
先日読んだ「平ら山を越えて」にあった「ジョージ」は、この作品へのオマージュではなかろうか?
「最後の天文学者」
天文学が凋落し、否定される状況は、多分今までも繰り返されてきた。
真実がわかると世の中にある数多の●●学は古い俗説になってしまう。
「だれかがくれた翼の贈りもの」と同類のテーマに感じた。
「ユニークで斬新な発明の数々」
科学と宗教と壮大なSFホラ話。本編の中では最もラファティらしさを感じたが
奇想っぷり、本気なのかとぼけているのか繰り出される会話にギリギリ食いついていった感じ。
でも妙に面白い。
どの作品もわかるようなわからないような、深いような煙に巻かれるようなラファティ独特の論理に振り回された気がします。
村上春樹を絡ませたラファティのパラドックスを語る解説は、興味深いがわかりにくくもありました(笑)
以下はその解説から抜粋引用。
”人類”と呼ばれる”最上位動物相”はおよそ想像を絶する雑音、
得たいの知れなさでいっぱいだが最高に楽しい連中である。
すべての”出来事(ハプニング)”は”幸い(ハッピー)” なのだ。