骨太なノンフィクションです。
事件自体は昭和30年代前半なので、本書を読むまで知らなかった。
この本を読んだのは、もう20年以上前になる。
とにかく本田が描く当時の記者たちは昔のテレビドラマや映画に出てくるような、
使命感に燃え、独特の熱気を感じさせる。
そんな記者の中でもとりわけ敏腕であった立松が、
検察という思わぬ組織の権力闘争に巻き込まれて逮捕されてしまう。
最終的には勤めていた新聞社からも見放され、亡くなってしまう。
立松のかつての後輩だった本田靖春が書いた本作は、
今のジャーナリスト、ジャーナリズムを痛烈に批判しているように思う。
時代的には戦後の大きな流れがあって、新聞社自体も変わっていかざるを得ない時期だったのだろう。
これらの時代背景を含め、その当時のことがわかりやすく書かれている。
本田自身が所属していた世界だったから、書くことを生業としていたから、を通り越した筆力を感じる。
あとがきには、以下の記述がある。
「この作品の取材で会った、立松と親しかったかつての職場における同僚たちが、
表現は異なっても口を揃えていったことが二つある。
その一つは、立松のような新聞記者はもう絶対に現れない、ということであり、
もう一つは、いま彼が生きている姿をどうしても想像できない、というものである。
新聞記者のサラリーマン化がしきりにいわれている今日、第二の立松が出てくるはずがない。
万が一、出てきたとしても、組織がかならず排除するであろう。」
まさに今の時代はこの通りになってしまっているのではないか。
本田靖春の作品はこれ以外にも何冊か読んだが、面白い作品、考えさせられる作品が多い。
今のジャーナリストは本田靖春の作品群を読んでいるのだろうか。
古い人の本だからと読んでいないとしたら、ジャーナリストとして怠慢だとすら思う。
時代には関係のない、ジャーナリストとしての情熱を感じてほしい。
自分たちの役割、使命を考えて欲しい。
去年「我、拗ね者として生涯を閉ず」(上)(下)という自伝を購入したが未だに読んでいない。
自分の遅読が原因なのだが、落ち着いた気持ちでじっくり読みたいので
そのタイミングを狙っているということもある。
壮絶な闘病生活を続けた本田靖春の最後の著書。
本田靖春の気骨たっぷりと思われる著書を、心して読みたいと思っている。