吉祥読本

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高く遠く空へ歌ううた --小路幸也

講談社BOOK倶楽部より引用
子どものころは、もっとどきどきした、たくさんの発見があった――
僕の片眼の暗闇には、もう一人の〈僕〉がいる
港に霧が出た夜には「赤眼の魔犬」が現れ、次の日には必ず人が死ぬ――。
高くて広い空に囲まれた町で暮らす、少年・ギーガン。また見つけてしまった10人目の死体。
現場には革ジャンの男が現れ、「犬笛」の歌声が聞こえてくる。父さんはなぜ自殺したのだろう。
謎の糸が少しずつ解けていく優しいミステリー。



「空を見上げる古い歌を口ずさむ」の続編みたいな作品です。と言っても、主人公も舞台も変わります。

 

子供の頃のアダ名って、名前のアレンジ(一部取り出しや省略など)が一番多いかもしれませんが、
身体的特徴や何かしらの動作や行動実績から付けられることも多いように思います。
アダ名は親しみを持たれやすい反面、あまりに的確すぎると時に残酷さも伴うため
嫌な思い出を持つ人もいると思います。
幸い私はアダ名があってよかったと思っているクチです。
小学3年生のときに付いたアダ名をオッサンになった今でも呼ばれ続けるのは
ちょっと気恥ずかしいのですが。。。

 

前作「空を見上げる古い歌を口ずさむ」も本作も、登場人物をアダ名のままストーリー展開しています。
主役クラスはまあいいとして、というか本作においてはインパクトのある理由で付けられたアダ名なので
わかり易いですが脇役にまでそれを当てはめられると「あれ、この人だれだっけ?」となる。
全体的に登場する子供たちのキャラクターが妙に大人びているため、大人か子供かの区別すら
つかなくなってしまった部分もある。
親しい間柄だからこそ、身近にいるからこそアダ名は覚えることができると考えるので、
作品での多用はマイナスなんではないかと思いました。

 

それに加え、ギーガンとルーピーの友情、彼らを見守る柊をはじめとする先輩たちとの交流は
暖かいのですが、自分の小中学生のときとは比べようがないぐらいの「大人」を感じさせるため、
感情移入がいまひとつできませんでした。(これは自分のせい、ですね。。。)

 

自殺後の死体を見つけてしまうギーガンや謎の男の行動や、前作にも出てくる異能の人物たちの登場は、
前作で解明されなかった謎がいよいよ紐解かれるのではないか、とおおいに期待させましたが
結局、同じ結果になってしまいました。
この結果はどうなんでしょう。
勝手に解決篇だと思い込んでいた私が悪いのでしょうが更に続編があるのでしょうか。
多分このままなのであろうとの判断で、前作よりも評価が低くなっています。



マイナス点ばかり挙げてしまいましたのでプラス面を挙げてみます。
一番印象的なのはルーピーの少年らしい純粋な心意気でしょうか。
「ギーガンの父親」に対するルーピーの思いなどの描写をもっといっぱい書いて欲しかったなあ。
そしたら泣けたかも。(プラス感のない感想だなあ。。。)
ただ、プラス面を掘り下げて書いてしまうとこの作品を読んでいない人の色んな楽しみを
無くしかねないので、これ以上は何も書かないほうがいいように思います。

 

なんて、言い訳して、書けない感想文を乗り切ろうって作戦、、、、じゃないつもりなんですが(笑)
だったら書くな、と言われれば返す言葉もないですねえ(苦笑)