1959年12月、『S‐Fマガジン』が創刊された。初代編集長は福島正実。
それまで商業的に成功したことのなかったSFを日本に根づかせるため、彼の八面六臂の活躍がはじまる。
アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される海外のSF作家を紹介するとともに、
小松左京、筒井康隆、光瀬龍などの“新人作家”を世に出し、SFのおもしろさ、その可能性を広く
紹介してゆく…SF黎明期における激闘の日々を綴る感動の回想録。
それまで商業的に成功したことのなかったSFを日本に根づかせるため、彼の八面六臂の活躍がはじまる。
アシモフ、クラーク、ハインラインに代表される海外のSF作家を紹介するとともに、
小松左京、筒井康隆、光瀬龍などの“新人作家”を世に出し、SFのおもしろさ、その可能性を広く
紹介してゆく…SF黎明期における激闘の日々を綴る感動の回想録。
未踏の時代という題名が示す通り、日本のSFを牽引してきた立役者の一人であり
SFを読む人であれば知らない人はいないであろう、と言ってもいいくらいの人物でしょう。
「夏への扉」「幼年期の終り」などの訳者でもある。
SFを読む人であれば知らない人はいないであろう、と言ってもいいくらいの人物でしょう。
「夏への扉」「幼年期の終り」などの訳者でもある。
昨年、クラークの「楽園の日々」でアメリカのSFに関する情報を得たばかりだが
日本のSFに関する情報にも当然興味はある。
最相葉月の「星新一 一〇〇一話をつくった人」でも日本SFの黎明期が書いてあったが
やはり当事者の直接的な文章は生々しい。
日本のSFに関する情報にも当然興味はある。
最相葉月の「星新一 一〇〇一話をつくった人」でも日本SFの黎明期が書いてあったが
やはり当事者の直接的な文章は生々しい。
それにしても日本SF界の黎明期に関わったメンバーのなんと豪華なことか。
星新一、安部公房、矢野徹、小松左京、半村良、光瀬龍、筒井康隆、手塚治虫、眞鍋博等々
一堂に会した若かりし頃の重鎮たちの写真を見ると、それだけで一体どんな会話が交わされたのだろうと
ワクワクする。
そして癖のある彼らに負けない福島の強烈なキャラクターは、武骨で強力なエンジンだったのだろう。
こういうエネルギッシュな人物は嫌いではないが、喧嘩になりそうで(笑)
実際、誌上を通して喧嘩もよくしていたようです。若気の至りでもあり、情熱の現れでもあるのでしょう。
理解はできます。
だけど。。。。
星新一、安部公房、矢野徹、小松左京、半村良、光瀬龍、筒井康隆、手塚治虫、眞鍋博等々
一堂に会した若かりし頃の重鎮たちの写真を見ると、それだけで一体どんな会話が交わされたのだろうと
ワクワクする。
そして癖のある彼らに負けない福島の強烈なキャラクターは、武骨で強力なエンジンだったのだろう。
こういうエネルギッシュな人物は嫌いではないが、喧嘩になりそうで(笑)
実際、誌上を通して喧嘩もよくしていたようです。若気の至りでもあり、情熱の現れでもあるのでしょう。
理解はできます。
だけど。。。。
文芸評論家の荒正人氏と対立した際の顛末が書かれていたが、論争となった肝心の荒氏の記事が
一部抜粋でしかなく、自分の反論はほぼ全文?掲載しているのは不公平に感じた。
引用が許されない大人の事情があったのかは不明だが、読者に判断を委ねることも大事では?
その後、ソフトランディングしたようですが、お互いにSFを思うあまりの論争だったとは思います。
一部抜粋でしかなく、自分の反論はほぼ全文?掲載しているのは不公平に感じた。
引用が許されない大人の事情があったのかは不明だが、読者に判断を委ねることも大事では?
その後、ソフトランディングしたようですが、お互いにSFを思うあまりの論争だったとは思います。
それと「SF入門」の出版時にあったできごとは、会社という枠を越えてSFを盛り上げようとしていた
福島氏のそれまでの行動を考えると違和感を覚えた。
理由は述べているが、果たしてそうだろうか?言い訳に感じたのだが。。。
福島氏のそれまでの行動を考えると違和感を覚えた。
理由は述べているが、果たしてそうだろうか?言い訳に感じたのだが。。。
この作品、実は未完である。連載の途中に亡くなったためである。
だが、作品としては中途半端な感じはしない。
彼の言いたいことが情熱的に一貫して散りばめられているからだ。
そしてその情熱があったおかげで今もSFを楽しめるのだから、おおいに感謝したい。
未読の日本のSF作品(特に古い作品)も、読まないといかんな。
だが、作品としては中途半端な感じはしない。
彼の言いたいことが情熱的に一貫して散りばめられているからだ。
そしてその情熱があったおかげで今もSFを楽しめるのだから、おおいに感謝したい。
未読の日本のSF作品(特に古い作品)も、読まないといかんな。