吉祥読本

読書感想。面白そうな本なら何でも読みたい!

「悪」と戦う ::高橋源一郎

言葉の発達が遅いキイちゃん一歳半と、言葉の発達が早かったお兄ちゃん、ランちゃん三歳の兄弟の話しです。
彼らのお父さんは、作家の高橋さん。
宮沢賢治の「ことば」で胎教を繰り返したランちゃんのことばはあらゆる「文学」の引用であり、一方胎教を放棄してしまったキイちゃんは一歳半になっても「だっだっだっ」とか「どっどっどっ」とか「どん」としかしゃべらない。
兄弟同士ではなぜか会話が成立しているらしく、父親はランちゃんを通して意思の疎通を図っている。

 

その親子三人の前に完璧なパーツで構成された顔を持つ「ミアちゃん」が現れます。
そして「ミアちゃん」のお母さんは、「わたしは『悪』と戦っています」と繰り返します。



「29年前、デビュー作『さようなら、ギャングたち』で書くことができなかったラスト」を書くために本書を書いたと本人は帯で書いています。
そして
「いまのぼくには、これ以上の小説は書けません。
 そして、これ以上の小説を書くことが、
 ぼくの、次の目標になりました。」
とも書いている。

 

「さようなら、ギャングたち」を読んだ約25年前、そのときの衝撃は忘れられません。
そして多分、これ以上自分に影響を与えてくれる作品はきっとないでしょう。
確かに理解する事が難しい作品だったし、理解したとは言い難い作品だったが理解しきれなかったのに楽しむことができ、そしてショッキングな体験ができたことに感謝している。
その作品で書けなかったラストを回収って・・・・
果たして「さようなら、ギャングたち」に匹敵する作品なのだろうかと期待半分で読んだ。
そもそもあのラストは大好きだったのだから、どんな回収が可能なんだろうか?



文字のポイントは大きく、行間も広い。パッと見は児童書のような作りです。
ランちゃんは「ミアちゃん」を通してファンタジックで残酷な戦いを始めます。
立ちはだかる「悪」は理不尽で、もやもやしていて、残酷で、はっきりした形として提示されていない。
戦わないでやり過ごす事もできるだろう。
しかし、ランちゃんは、立ち向かう。戦い続ける。
「悪」の正体は人によって違うものに見えるだろう。
そもそも「悪」とは何だろう。

 

戦いを放棄しないことの美しさを感じた。
「ことば」に対する思いや「ことば」の持つ意味を考えさせられた。

 

残念ながら「さようなら、ギャングたち」を越えることはできなかったが、
いくつか琴線に触れる箇所があった事は確か。
源ちゃんがどんな形でオトシマエをつけたかったのかは、感じとれたつもり。