吉祥読本

読書感想。面白そうな本なら何でも読みたい!

高熱隧道 --吉村昭

暑い夏ですが、本書を読むと申し訳なくて暑いなんて愚痴、言えなくなってしまいます。
なんて書きながら軟弱なのですぐに「暑い」を連発してしまう自分が情けない。。。



本書説明より引用

 

黒部第三発電所昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。人間の侵入を拒み続ける嶮岨な峡谷の、
最高岩盤温度165度という高熱地帯に、トンネルを掘鑿する難工事であった。
犠牲者は300余名を数えた。トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、
予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、
極限情況における人間の姿を描破した記録文学



あまりに過酷な世界に頭がさがる。なんという世界だろう。
本書はあくまで小説と銘打っていますが、ノンフィクションとして読んでいい作品でした。
戦争に向けて、発電所が諸々の法律よりも優先されて造られる。
国策の前に、人間の命はただ金で買うことのできる消耗品でしかないのだ。

 

驚く事ばかり。まず、通常では想像のつかない自然の驚異。
トンネルを掘る男たちの前に立ちはだかるのは最高で摂氏165度にもなる岩盤。
そしてトンネル内の温度も70度くらいまでに達するという暑さ。いや熱さ。
この環境の中で機械ではなく、人間が体を張ってトンネルを掘るのだ。
その熱さだけでダイナマイトが暴発してしまうくらいの熱さなのだ。
それだけであり得ない。



貧しく、通常より高い日当が目当てだとしてもトンネルを掘り続ける人夫たちの意地と忍耐力は
鬼気迫るものがある。
ダイナマイトで吹き飛ばされる人夫、過酷な環境のため倒れる人夫が続出するのを横目に
憑かれたように文句も言わず掘り続ける人たち。
一方、技術者や監督者は次から次へと立ち塞がる難問を知恵と勇気で解決していく。
机上で何を言ってもダメなのだ。「事件は現場で起きているのだ!」
いつ人夫の暴動が起きるかもしれない劣悪な環境で作業を継続させるために
冷徹な態度と勇気ある行動を見せつける監督者たちの苦労も何大抵のものではない。

 

ただ、追い詰められた時の人間の知恵は素晴らしいのだが、
道具として扱われる人たちの悲惨さには適当な言葉が見当たらない。



驚くことは熱地獄だけではない。聞いたこともない泡(ほう)雪崩。
通常思っているような雪崩ではなく、世界でもほとんど例がない、「ホウ」には驚愕するばかり。
ホウ雪崩は表層雪崩の雪に含まれた空気が圧縮されて落下する雪崩のことらしい。
障害物にぶつかる瞬間に空気が爆発する。
毎秒1000m以上の爆風となり、鉄筋コンクリートの宿舎を文字通り吹き飛ばし、
建物ごと山をひとつ越えた大岩盤に叩きつけてしまったのである。
80人以上の人間と共に。。。
もう、考えが及ばない世界なのだ。



そんな難工事、今なら中止になるだろうが、当時の「空気」ではそれを止めることは出来なかった。
人が死ぬ事が折りこみ済みの工事、それがわかっていても働く人たち。
色々な事に「ひどいなあ」、というのは簡単だがそんな犠牲の上に今の生活があり、
暮らしている自分には何も言えない。
どんな立場であれ、どんな形であれ挑み通した人たちには恐れ入る。

 

ただ、最後には立場が違っても目的を達成するために一致団結したときの喜び、
みたいなものが描かれるかと思いきや、なんという結末。。。。



人夫にもそれぞれ人数分の人生があるのだからそれらの物語りを拾い上げれば
枚挙にいとまがないだろう。
しかし、吉村さんは一切その部分に触れていない。
感情や背景を極力排除した文章を淡々と積み上げているのだが、
人夫の黙々とした動きの描写だけで人夫の息遣いやうめき声が聞こえてくるような、
そして何を考えているのかがうっすらと透けて見えるような気にさせる文章は、素晴らしい。



古い話しなのですが、読みやすく、素晴らしい作品でした。
もう一冊積んである「羆嵐」もできるだけ早めに読もうと思いますし、他の作品も読みたいです。
何冊かリストアップしてあるので、楽しみです。