吉祥読本

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血の味 ::沢木耕太郎

「中学三年の冬、私は人を殺した」。二十年後の「私」は、忌まわしい事件の動機を振り返る―熱中した走幅跳びもやめてしまい、退屈な受験勉強の日々。不機嫌な教師、いきり立つ同級生、何も喋らずに本ばかり読んでいる父。周囲の空虚さに耐えきれない私は、いつもポケットにナイフを忍ばせていた…。「殺意」の裏に漂う少年期特有の苛立ちと哀しみを描き、波紋を呼んだ初の長編小説。(「BOOK」データベースより引用)

 

無名で沢木さん自身の父親観が書かれていたように記憶している。
この作品は自身はじめてのフィクションで、そこに別のアプローチで父親を語っているようだ。
本当のところ、沢木さんの心の奥にはどのような父親像が構築されているのかと考え込んでしまいます。
フィクションとはいえ、著者がすごく投影されているように感じるんですよねえ。

 

主人公は中学生としてはやけに落ち着いた行動をとっているので、高校生のほうが違和感がないのでは?
十代の時に持っていた苛立ちは理解できるものの、彼の行動を理解するのは難しい。
主人公は陰りのある一匹狼のようなキャラ設定だが、まじめで悪い事をしたことがない優等生が思い描く不良像みたいにも感じた。

 

ボクシングがらみの話と女装する元ボクサーとの交友は「一瞬の夏」で描いた敗者、
鬱屈した主人公の心の揺らぎは「テロルの決算」で描いた少年(山口)の影響がモロに感じられる。
山口が人を刺した一瞬に何が集約されていたのかを描いた「テロルの決算」と優しさが故、弱い心が故、勝てない天才ボクサーと過ごした日々を描いた「一瞬の夏」、そして本作では少年が殺人を起こした瞬間に何を考えていたかを描き出すことで著者自身の
心の中にあった何かを描きたかったのではなかったか。

 

最初から最後までスラスラと読めた半面、著者が描きたかった「何か」を知る事は残念ながらできなかった。
というか、敢えて書いていないような気がする。
沢木さんの手法といえばそれまでだが、生意気な書き方をさせてもらえばフィクションならではの描き方があるのではないかと思う。
はっきりと書くべきものは書いてほしかった。
それが「一瞬の夏」「テロルの決算」「無名」で書かなかった「何か」への思いの
オトシマエの付け方だったのではないかと思ったのですが。