吉祥読本

読書感想。面白そうな本なら何でも読みたい!

ボディ・アンド・ソウル --古川日出男

本書より引用
二〇〇二年十一月から二〇〇三年七月、東京――作家フルカワヒデオの魂は彷徨っていた。
肉体は死んでいる。しかし夢見ている。失われた妻を求め、導師に導かれながら、
この”低音世界”で物語は語り続けられる。なぜ物語るのか?なぜ物語られるのか?
21世紀の路上に響く、衝撃の神聖喜曲。



さて、困りました。
この作品の感想を書かない選択もあったのですが悔しいので書けるところまで書くことにしました。



例えば、「家からここまで来る間、私はフルカワ某の作品に関してカクカクシカジカ考えていたんですけどね」などと語りかけられたら「ああ、この人はずっとフルカワ某のことだけを考えてここまで来たんだな」と思いがちだが実際は考えていたことのホンの一部しか語っていない事は誰もが知っているはずだ。
「ああ、雨が降りそうだな。傘を忘れたけど大丈夫かな」とか「チクショウ、いい匂いがするじゃね~か、食いて~」とカレー屋のまえで逡巡したり、ティッシュ配るならもっと端っこで配れよとかぶつぶつ頭の中でつぶやいてとりとめもないリンクをたどりながら牛乳が飲めなくて残されてた同級生がいたな、
名前はなんだっけとか考えてもなぜ小学校の時の思い出が?などと理由をたどれないリンクを無意識に脳内クリックして時間を超越してみたり再帰してみたりを繰り返しながらフルカワ某のことを考えて来たはずなのだ。
そして一見関係ないそれらのリンクが「フルカワ某のカクカクシカジカ」を語るうえで微妙に影響を与えているはずなのだ。
それらのとりとめのない思考は一瞬の間に処理され、それがイヤと言うほど積み重なっているので全てを言葉で再現するには膨大な時間が必要になる。
その思考回路を映像で残す事ができたとしたらそれをハイスピードカメラで撮影したうえ、さらに通常速度でその映像を再現しそこから一部抜粋して書き起こして見せられているような作品がこの作品だ。
アハハわかんねーよ!って怒声が聞こえてきそうだ。

 

テンポよく文章を目で追い文章の意味や理由を考えるのではなく、
あるがままをあるがままに読み流すことでリズムが生まれる。
それで気持ちがいいかどうか、ただそれだけの作品ではないか?
フィクションとノンフィクションの間を行ったり来たり、
妄想と現実のクロスフェードの繰り返しをぼんやり追うだけで
どんな読み方が正解なのかはどうでもいいし、この作品が好きか嫌いかも正直わからない。

 

この感覚は高橋源一郎「さようならギャングたち」を読んだときに受けた感覚に近いかもしれない。
ただ自分としてはいやボク的には「さようなら、ギャングたち」のほうが衝撃度が高かったから好きだ。
断然好きだ。
「さようなら、ギャングたち」を読んだときは意味がわからないと悩みながらも感じとることができたし感動すらしたが残念ながらこの作品では感動するところまでには至らなかった。
刺激は受けたが感動はしなかったというのが今のところ一番合っているのかもしれない。
古川日出男の意図はわからなかったが、きっと何かを企んでいるに違いない。
う~ん、言葉が見つからない。語彙がほしい。

 

この作品と感性が合う人にとっては自分にとっての、いやボクにとっての「さようなら、ギャングたち」になる可能性を秘めているような気がするし、それは考え過ぎなような気もする。



作品の真似してみたけど全っ然だめだなあ(笑)
古川日出男の大作「聖家族」が面白そうなので、まだまだ読み続けるつもりです。