吉祥読本

読書感想。面白そうな本なら何でも読みたい!

雷電本紀 --飯嶋和一

相撲に関する小説やノンフィクションは読んだ記憶がなく、相撲もので思い出すのは、さだやす圭さんの「ああ播磨灘」という漫画と周防監督の映画「シコふんじゃった」くらいでしょうか。
相撲のシーンを小説で読んでも面白くないと思ってましたが、なんてことない、面白すぎ。飯嶋さんの描写にぐいぐい引き込まれ、凄いのだ。
確かに「汝ふたたび故郷へ帰れず」でのボクシング描写もよくできていた。

 

江戸時代の関脇、雷電為右衛門の生い立ち、生き様、そして心許す仲間たちとの交流を通し、相撲だけではなくその時代背景までをも浮き彫りにしている見事な作品だと思います。相撲ファンでなくても楽しめるでしょう。
雷電は実在の人物で、江戸時代の話である。まるでその時の映像でも残っていたのではないか?と思わせるくらいの細かい描写から、丹念に資料を集め調査している事がよくわかる。
いまでも相撲の不正が取り沙汰されているが、事実江戸時代には不正が普通に存在することに驚いた。
力士は藩のお抱えという事情から勝負は各藩の体面によって左右されてしまうことがある、という流れなのだが相撲をとる人自身には関係のない話しでその点は同情してしまいます。
しかしその不正を拒絶したうえでガチンコで勝ち続けるところに「雷電王朝」の凄さがあり、共感できるところなのだ。

 

もう一人の主人公は鉄物問屋の鍵屋助五郎。
「黄金旅風」の主人公と同じ匂いがする男で雷電関のよき理解者である。
助五郎と共に行動してきた番頭の麻吉を含め男気あふれる連中の心意気が気持ちよい。特に最後の章の「釣鐘事件」に関するくだりは、黄金旅風の原点ではないかと思いました。

 

それにしても相撲を通し江戸の姿が見事に垣間見えるではありませんか。
困窮する市井の人たちの希望であり、心の拠り所でもあった相撲人たちには素直に感動しました。
街を飲み込む大火の焼け跡での厄祓いシーンでは、赤子を想う女親たちの姿とともに相撲取りの心意気に思わず息が詰まりそうになった。タイムマシーンで見てきたのか?


この作品の巻末には文藝賞を受賞した時に久間十義氏との対談が掲載されている。これがなかなか面白かった。久間十義といえばかなり前に「世紀末鯨鯢記」という作品を読んだ事がある。読むのに手こずったが、読み応えのある作品という印象があるので再読したい一冊。本棚を探さねば。

この対談では飯嶋さんの歴史小説へのこだわりや小説に取り組む姿勢が垣間見る事ができる。
「ちょっとした細部を積み上げて空間とか時間を描く」ことにこだわるという言葉は、なるほど納得できる。表現に対する深い考察には恐れ入る。
飯嶋さんのこだわり、強固な意志はある意味「堅物」との印象を与える気がする。故に久間十義氏の「世紀末鯨鯢記」を引き合いに出した時には現場に冷たい空気が流れたのではないだろうか(笑)
本書の主役、雷電の妥協のない相撲は、飯嶋さんの姿そのものなのだと感じる。
「汝ふたたび~」や他の作品(多分次に読む予定の作品)に関しても言及しているのでおおいに参考になり、これだけでも読み応え充分だった。


個人的に心に残る台詞やシーンはいくつもあったが、一番気になった台詞をひとつ。

 

「江戸のほとんどの民はたしかに困窮してはいたが、いまだ性根まで飼い慣らされてはいなかった。
自分の目でものを見、考え、不当なものを不当であると自ら口にする力を失ってはいなかった。」


蛇足ですが「竹光侍」のような描写で松本大洋さんがこの作品を漫画化したら、ピッタリなのではないかと思いました。